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2010/07/08 Thu 20:00 OLYMPUS | 写真 |
久々のお城ブログです。このブログの路線はブレブレですが、気にしない気にしない。

岸和田

和泉岸和田6万石の城、岸和田城。別名、千亀利城(ちきりじょう)
岸和田といえば「だんじり」しか思い浮かびませんね。

大阪の難波から、南海電車で30分ちょい。
岸和田駅、もしくは蛸地蔵駅から10~15分ぐらいかな。

城主は岡部一族の方々ですな。マイナーです。。。
岡部元信という名前は信長の野望にも出てきますがね^^


岸和田

天守は復元で展示場になっていますが・・・・
展示物がポツリ・ポツリ・・とおいてあるだけの寂しい感じでした。

wiki等によると、この城は「紀州藩の和歌山城の監視の役割を担っていた」とありますが、
岸和田城の展示によると、大阪防衛に力を入れていたと書いてありましたね。詳しいことは続きで。

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「岸和田は「天下の台所」大阪に近く、大阪湾岸の南の防衛線として非常に重要な地でした。
岡部宣勝が岸和田藩主に任命されたのは紀州藩の動向を監視するためとも伝えられていますが、岸和田城の城構えからみて、むしろ大阪側の守備に重点を置いていたことが伺えます。
尼崎藩とともに岸和田藩は大阪防衛の役目を担っており、参勤交代でも岸和田藩主と尼崎藩主がともに国元に不在とならないように配慮されていました。」

以上、資料館配布資料より抜粋でした。

岸和田城
「岸和田城は寛永17年(1640)から明治維新まで、岡部氏が13代にわたって城主を務めた。しかし岸和田の歴史は古く建武元年(1333)楠木正成の一族である和田氏の築城までさかのぼる。その後は、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏と、支配者が移り、豊臣秀吉の治世となってからは秀吉の家臣の中村氏、次いで小出氏が入城。そして江戸時代初期には松平(松井)氏が岡部氏入封までの20年間城主となっていた。岸和田は大阪と紀州を結ぶ紀州街道を控えた要衝の城。岡部氏の時代には本丸、二の丸、二の曲輪、三の曲輪などの大規模な城郭となった」

日本名城紀行より


岸和田
模型~。

岸和田
敷地内に猿発見!

なんかあんまり枚数を撮らなかったので、いまいちな写真たちでした。

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