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2010/05/10 Mon 23:13 OLYMPUS | 写真 |
GWに行った和歌山城です。

大阪難波から、特急で1時間弱。
関西空港を南に20Kmほど、山を越え、川を越えたあたりに和歌山城があります。別名・虎伏城

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徳川御三家の一つ、紀州徳川家55万石の城です。
残念ながら戦火にて焼失したため復元です。昭和32年復元。
復元ですが、なんだか古い建物でした、天守閣からつづく多聞櫓のなかにも入れます。
なかなか立派です。

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八代将軍 徳川吉宗・十四代将軍 徳川家茂は紀州徳川家出身です。

吉宗といえば「享保の改革」ですが。。。勉強不足です。目安箱とかみたいですね。

徳川家茂(いえもち)は幼名・慶福(よしとみ)ですね。
最後の将軍・徳川慶喜の一代前の将軍です。おととしの大河ドラマの篤姫でも、慶福と慶喜の後継者争いがありました。
今回の龍馬伝ではどうだろう?。慶喜(演・田中哲司)が目立ちすぎ笑

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和歌山という土地はそんなに重要な場所だったのでしょうか。
雑賀衆のような、反政府の集団が多かったのでしょうかね?
「雑賀孫市」の文字は市内で一か所だけ見かけました。

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和歌山城
「和歌山城が築城されたのは天正13年(1585)にさかのぼる。紀州では雑賀衆、根来衆といった鉄砲集団が勢力を持っていたが、こうした武力集団を倒し、紀州を平定したのは豊臣秀吉だった。紀州平定で軍功をあげた弟・秀長に紀伊・大和を与え、和歌山城を築くよう命じ、藤堂高虎を普請奉行に任じた。

こうして完成した和歌山城だが、秀長は大和郡山城を居城とし、城代として桑山重晴が和歌山城に入城し、城の管理にあたった。

慶長5年(1600)に関ヶ原の合戦が勃発。徳川家康率いる東軍で戦功をあげた浅野長政の嫡男・幸長が37万6000石で紀伊に入封。浅野氏は2代19年間にわたって在城した、広島城へと移封となる。

浅野氏に代わって、元和5年(1619)に55万5000石で和歌山城に入封したのが徳川家康の十男・頼宣であった。徳川御三家紀伊徳川家の祖である。
以後、和歌山城は紀伊徳川家14代の居城として明治維新を迎える。ちなみに8代将軍徳川吉宗は紀伊徳川家5代藩主、14代将軍徳川家茂は紀伊徳川家13代当主だった。
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